Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:写真 劉大健 王徳英 魯忠民 資料提供 中国侵略日本軍南京 大虐殺受難記念館] Total 3559 Search Results,Processed in 0.080 second(s)
-
1. 南京の今昔を現地に見る
南京は江蘇省の省都。広大な長江下流域平原にあり、「黄金水道」長江が市内をゆったりと流れる。市街区は947平方キロ。人口260万。中国六大古都の一つである。紀元前472年、戦国時代越の国王勾践が呉を滅ぼした後、最初の城壁を築いた。以来2467年の歴史は、古都文化の光輝と共に、50余年前世界を震かんさせた大惨劇―南京大虐殺を記した。1937年12月、日本侵略軍が南京を占領、武器を捨てた国民党軍将兵と一
Author: 写真 劉大健 王徳英 魯忠民 資料提供 中国侵略日本軍南京 大虐殺受難記念館 Year 1995 Issue 8 PDF HTML
-
2. 牽牛と織女
陰暦七月七日は、たなばたの星まつりの日。牽牛、織女の二星を祭って、娘たちが手仕事の上達を祈る乞巧節で、年に一度、牽牛と織女が会うことを許される日でもある。むかし、南陽城という町の西に、牛家荘という村があり、かしこくて、まじめで、よく働く、霊児という男の子がいた。この子の両親は早く亡くなり、兄嫁と暮らしていたが、いつも虐待されていた。ある秋、兄嫁は霊児に九頭の牛をおしつけて「放牧に行きなさい。牛が十
Author: 資料提供 薄松年 文 魯忠民 Year 1991 Issue 7 PDF HTML
-
3. 雲南省博物館 「牛虎銅案」
紀元前約三〇〇年から同二八〇年の間、楚国の将軍、荘蹻は、軍を率いて雲南に向かった。当時の雲南は、風光明媚だが文化はまだ立ち遅れていた。荘蹻は、現在の昆明の近くにある滇池地区に到達したが、当時はこのあたりに数十の部族が分布しており、すでに青銅器文化の時代に入っていた。「滇」はその中で最大の部族であった。紀元前二八七年、秦国は司馬錯を派遣して楚国の黔中郡を奪取し、荘蹻が楚に帰る道を切断した。このため荘
Author: 文=魯忠民 資料提供=新世界出版社 Year 2004 Issue 1 PDF HTML
-
4. 安徽省博物館 「影青蓮瓣注碗」
この磁器を仔細に観察すると、磁器本体の質はきめ細かく、色は純白で、全体に「影青釉」という釉薬がかけられ、滑らかでつやつやしている。「注壺」(酒を入れる壺)の蓋には、生き生きとした獅子の形のつまみが付いている。「注壺」の本体には、腹から足にかけて六つの「瓜楞紋」(カボチャの皮の波形に似た模様)が薄く刻まれている。注ぎ口は長く、取っ手は湾曲している。「注壺」を入れる受け皿は、上向きの六つの花弁を持つ蓮
Author: 文=魯忠民 資料提供=中国画報出版社 Year 2004 Issue 2 PDF HTML
-
5. 太湖を見るなら無錫
蠡園蠡園は蠡湖(太湖の一部、春秋時代、越の范蠡が西施と舟を浮かべた)の名をとった。広さは6ヘクタール、北部分は石を雲の姿に積み、東は長廊下が湖に臨み、背後の壁には蘇軾等の墨跡が刻まれている。鼋頭渚公園鼋頭渚は太湖に突き出た半島であり、びょうぼうたる湖と、遥に七十二峰を望む絶好の場所である。広さは130ヘクタール、自然の中に人工を配し、鼋頭、澄瀾堂、光明頂、三山などに分かれている。恵山泥人形昔から恵
Author: 資料提供 裘明仁 陸炳栄 編集 劉東平 え·魯忠民 Year 1996 Issue 3 PDF HTML
-
6. 抗日戦争勝利50周年記念展から
今年は、中国の抗日戦争および世界反ファシスト戦争勝利50周年に当たる。これを記念した大型展覧会が、北京盧溝橋(写真)にある「中国人民抗日戦争記念館」で開催され、多くの観衆に戦争の残虐さと平和の尊さを訴えた。いうまでもなく盧溝橋は、1937年7月7日のいわゆる「七七事変」の舞台となったところ。「中国人民抗日戦争記念館」が保存する歴史的写真も含めて、以下にその展示物などを紹介しよう。
Author: 資料提供 中国人民抗日戦争記念館 写真 馮進 Year 1995 Issue 8 PDF HTML
-
7. 恒久平和を祈念して万里の長城に桜を植樹
五月十二日、一際高い歓声が上がった。からからに乾いていた北京市一帯に、待望の雨が降ったのだ。これで大地は生気を取り戻すだろう。坂本敬四郎氏(写真下右1)を団長とする第八次日本桜友誼林建設実行委員会の一行は、降りしきる雨のなかを、北京市郊外の八達嶺に向かった。八達領は北京市内から七十キロ、昔から万里の長城を見学する地点として有名な場所であり、一行はこの長城を見上げる居庸関経済開発区の中に、二十八本の
Author: 写真 王徳英 Year 1995 Issue 9 PDF HTML
-
8. 貴州省のミャオ族その風俗と習慣
苗(ミャオ)族は中国の少数民族の中では人口が多く、500万人以上が、貴州、河南、雲南、広西、湖北、広東などの各省·自治区に住んでいる。貴州省にその半数の267万人が住み、中でも東南部の黔(けん)東南苗(ミャオ)族侗(トン)族自治州が最も人数が多く、また集中しているので、そこを重点に訪ねてみた。ミャオ族は広い範囲に分散しているので、民族の伝統的祝日や行事なども、共通のものもあれば独自のものもある。貴
Author: 写真 魯忠民 Year 1987 Issue 6 PDF HTML
-
9. 貴州省·シュイ族の祭りの日
端節のあいだ、トントン、トントン銅鼓(トングー)の音が絶えない。シュイ族が最も珍重する楽器で、力と富を象徴し、主に慶祝、祭祀、葬儀に使う。演奏のときは2人一組で、1人が右手で銅鼓の太陽の模様をたたき、左手で胴を打って伴奏をする。もう1人は木の桶を銅鼓の中に出したり入れたりして共鳴を調節する役だ。貴州省三都県は、全中国で唯一の水(シュイ)族自治県で、雲南·貴州高原の南端にある。全国で28万のシュイ族
Author: 写真 魯忠民 Year 1987 Issue 9 PDF HTML
-
10. 貴州省·プイ族の村をたずねる
布依(プイ)族は、古来から貴州省の南盤江、北盤江、紅水河流域とその北部の広大な地域に住む民族で、人口は212万人、主に黔(けん)西南プイ族·ミャオ族自治州、黔南プイ族·ミャオ族自治州、貴陽市郊外、安順地区、六盤水市管轄地区に住み、雲南省や四川省の一部にも居住している。この写真は、安順地区の鎮寧プイ族·ミャオ族自治県と、黔南プイ族·ミャオ族自治州の独山県で撮った。
Author: 写真 魯忠民 Year 1987 Issue 9 PDF HTML